神楽の衣装の中には、見事な刺繍を施した豪華なものがあります。
この『塵輪(じんりん)』という神楽を見てください。動きが激しいのでわかりづらいかと思いますが、この2人は鬼です。
石見神楽『塵輪』 西村社中(島根県浜田市)
鬼の着ている衣装、静止画だとこんな感じです。
スカジャンがすっかり霞んでしまうぐらい、派手で豪華な衣装です
この神楽を観た翌日、このような衣装を作っている細川神楽衣装店を訪ねると、なんと昨晩神楽を舞っていた青年が、一心に刺繍針を動かしていました。本業はこちらだったのです。
常日頃は神楽の衣装作り。夜には稽古や社中の寄り合いに行き、時には昨晩のように公演。地区のお祭はもちろん、声がかかれば遠方のイベントなどに出演することもあるでしょう。文字通り、人生のほとんどの時間を神楽に関わって過ごしているのではないでしょうか。
それほどまでに人を惹きつける石見神楽もすごいですが、それを地域の人たちが心を合わせて暮らしの中でたいせつにしていることが、奇跡と感じられるぐらいです。
刺繍は、金糸を多用しているところにも豪華さがありますが、よく見るとあちこちが盛り上がっていて、立体的なのがわかります。これほどくっきりと浮き出たせるのは普通の刺繍ではできませんが、どのようにしているのでしょう。
手許を見ると、和紙を細長くギュッとまとめたものを下絵の上に縫い付け(赤い糸)、その上に金糸の刺繍を施しているのでした。
際立たせたいところは和紙を芯にして、三次元の刺繍をしている
このように豪華な衣装だと、重さ30kgもあるのだとか。それを身につけて舞台狭しと動き回っているのですから、大蛇だけでなく鬼も相当の体力がないと演じられませんね。
でもこれが、子どもたちの憧れの鬼なんです。
見応えのある鬼の衣装。全体としてもすごい迫力だが、細部まで丁寧に刺してある
斜めから見ると、どれだけ盛り上がっているかがよくわかる
これまで見てきたように、石見地方に神楽が変わらず受け継がれているために、紙漉きやその和紙から作る面、蛇胴、本格的な日本刺繍といった技が、いまも生業として生きた形で残されているのです。
日本中の各地で、お祭やそこで披露される舞踊、お囃子、木遣りといった芸能が廃れたり失われたりしている中で、石見神楽はなぜこれほど幅広い年齢層の人たちに愛され、暮らしの中に無理なく取り込まれているのでしょう。
最初のブログで、石見の子どもたちのヒーローが神楽の鬼や神様だとご紹介しましたが、石見神楽と接点がありようのない東京在住の私の孫(3歳女児)も『大蛇』などの動画に見入ってリピート再生しています。iPad miniのモニタの中なので、それほどの迫力もないはずなのに、強いインパクトを与えているようなのです。
これは、石見神楽のどこかに、というか全体の中の複数要素に、人間の根源的なところをつかむ何かがあるからなのではないかと感じています。それでなければ、この時代に石見の広範囲の地域で存続できないのではないでしょうか。
そして、神楽を観てワクワクと心から楽しんでいる里人を見て、神様もきっと喜んでいるに違いありません。
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