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隠岐古典相撲はタイスコアでお祝い

更新日:2019年12月10日

隠岐で拾ったお話 その4


みんなのお祝い事を機に不定期に開かれる長~い相撲大会
20年に一度、遷宮相撲が行われる水若酢神社の土俵

 島後の水若酢(みずわかす)神社の鳥居をくぐると、左手に屋根のついた立派な土俵があります。

 島根県は、『古事記』の国譲り神話でオオクニヌシの子のタケミナカタがタケミカヅチに力比べを挑んだと記されることなどから“相撲発祥の地”と言われていますが、隠岐でも少なくとも江戸時代からは相撲が行われていました。

 一時は島に若い人が少なくなって中断していた時期がありましたが、1972年に水若酢神社の大鳥居が建立されたのを祝って復活されました。


水若酢神社は、隠岐国の一宮

 隠岐古典相撲が特徴的なのは、神社のお祭に奉納されるのではなく、地域挙げてのお祝い事のときだけ、不定期に行われること。また、開催されると1日目の夕方から2日目のお昼頃まで、2日がかり夜通しで行われることです。

 お祝い事というとどんなときかと言えば、過去最も近くに行われたのが2012年7月「新隠岐病院開院祝賀奉納」。次に予定されているのが、2020年9月「隠岐の島町新庁舎竣工祝賀奉納」。水若酢神社の遷宮などのほか、新空港・ダムなど公共の施設ができたとき、学校の新築・百周年など、地域共通のおめでたいできごとのあるときです。

 会場はそれぞれの場所に設置され、土俵が用意されます。特に水若酢神社の土俵は、鏡餅がお三方にのっているように3枚重ねになっている「三枚土俵」になるので、大相撲と比べてもより神聖な感じがします。

勝って、負けて、ノーサイド

 長々と、2日がかりにもなるのは、なぜでしょう。まず、行事の口上が1時間。ここで、今回のお祝い事の紹介も詳細にされます。次に、中学生ぐらいから役力士まで300人もの力士の土俵入りで2時間。それから延々取組が続きます。

 力士の最上位は大関で、関脇、小結の三役が役力士です。役力士は相撲が強いことももちろんですが、日頃から地域に尽くし人望のある人が選ばれます。

 見物する人たちは、持ち寄った食事をしたりお酒を飲んだりしながら、相撲を楽しみます。島根県をはじめ各地には、夜通し神楽を楽しむところがありますが、その相撲版ですね。うれしいことがあったときに、人々がいっしょに過ごしてお祝いする。こうした機会が、地域のつながりを保つのです。


 隠岐古典相撲の最大の特徴は、取組が2番ずつ行われることです。最初の取組で勝負がつくと、2番目には最初に勝った力士は勝ちを譲って、必ず1勝1敗にします。そのため、「人情相撲」と呼ばれるそうです。

 言ってみれば、2番目の勝負は八百長なのですが、最終的に優劣をつけないのは、勝った負けたでしこりを残さないためです。きっと、島という閉ざされた人間関係の中で、わだかまりなく生活を営むための知恵だったのでしょう。隠岐流のノーサイド。どうしても勝負数を奇数にして決着をつけて雄叫びを上げたくなる個人の気持ちより、地域の一員として戦う神事であることが大切なのですね。

 もう一つ、塩を大量にまくのも独特。しかも、力士だけでなく観客からも塩。相撲が進むと、土俵が真っ白になってしまうぐらいなんだそうです。

 来場者みんなが水戸泉、みたいな感じでしょうか? (ちょっと古い話でしたか)

柱を受けて地域に帰る力士の栄誉

 土俵の東西南北には、柱が立てられます。これは四方を守る神、青龍(=東)、白虎(=西)、朱雀(=南)、玄武(=北)を表しています。現在の大相撲では屋根を吊っているので柱がありませんが、かつては四本の柱で神社のような屋根を支えていました。ちなみに、大相撲中継で「赤房下」などと言われるように四方に房が下がっているのが柱の名残で、四神の色を踏襲しています。

 隠岐古典相撲では、相撲大会が終わると役力士にはこの柱が贈られます。これはたいへんな栄誉で、今回、家の軒下に飾ってある家が見られました。そのお宅では、親子二代で柱を獲得したようで、なんと新旧2本並べられていました。

 この隠岐古典相撲を題材とした小説に『渾身』(川上健一)があり、錦織良成監督・青柳翔主演で映画にもなりました。一旦島を出てUターンした主人公が、隠岐古典相撲を通じて、隠岐にある地域のプライドや人情、家族の存在価値などを自分のものにしていくお話です。と言っては、あまりに大雑把すぎるでしょうか。ご興味ある方は、読んでみて、観てみてください。


<隠岐で拾ったお話>

 その4 隠岐古典相撲はタイスコアでお祝い

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